士業のための公共調達ガイド:安定収益を目指すための案件分析と参入戦略
はじめに:士業の新たな事業領域としての公共調達
弁護士、司法書士、行政書士、税理士、社会保険労務士といった「士業」の専門性は、民間企業や個人の法務・税務・労務問題を解決する上で不可欠なものとして広く認識されています。しかし、その活躍の場は民間領域に限定されるものではありません。国や地方自治体が発注する「公共調達」の世界にも、士業の専門知識を活かせる多様な案件が存在し、安定した事業基盤を築くための新たな選択肢として注目されています。
近年、社会構造の変化に伴い、公共サービスも複雑化・高度化しています。例えば、全国的な課題となっている「空き家問題」では、所有者の特定や相続関係の調査が不可欠です。また、2024年4月から義務化された「相続登記」は、法務局における登記業務の需要を増大させています。これらの社会的な要請は、そのまま公共調達案件として、士業の専門性を求める声となって現れています。
本記事では、これまで公共調達に馴染みのなかった士業の方々を対象に、その市場の魅力と可能性を具体的なデータと共に解説します。資格別にどのような案件が存在し、どの程度の収益が見込めるのか。そして、実際に参入するためにはどのようなステップを踏めば良いのか。この記事が、皆様の事業領域を拡大し、より安定した経営基盤を築くための一助となれば幸いです。
【資格別】公共調達案件の事例と特徴
公共調達と一言で言っても、その内容は多岐にわたります。ここでは、士業の資格別に、具体的な案件事例と業務の特性、そして参入のポイントを解説します。
1. 司法書士・弁護士:大規模な「相続登記」関連業務
近年、司法書士や弁護士にとって最も注目すべき公共調達案件の一つが、法務局が発注する「長期相続登記等未了土地解消作業」です。これは、長期間にわたって相続登記がされていない土地の権利関係を調査し、登記を促す業務であり、相続登記の義務化を背景に全国の法務局で活発に発注されています。
案件事例と落札実績
この種の案件は、民間からの個別の依頼とは比較にならないほどの規模と金額になるのが大きな特徴です。以下に、近年の具体的な落札実績をいくつか紹介します。
発注機関 | 案件名 | 落札金額 | 備考 |
---|---|---|---|
大分地方法務局 | 長期相続登記等未了土地解消作業 | 約1,582万円 | 登記名義人470名分 |
長崎地方法務局 | 長期相続登記等未了土地解消作業 | 約2,465万円 | - |
和歌山地方法務局 | 長期相続登記等未了土地解消作業 | 約2,193万円 | - |
鹿児島地方法務局 | 長期相続登記等未了土地解消作業 | 約1,160万円 | - |
(出典:nSearch、各法務局公告情報)
業務の特性と収益性
表を見てわかる通り、これらの案件は1件あたり1,000万円を超えるものが珍しくありません。民間の相続登記案件が1件あたり数万円から十数万円であることを考えると、数百件単位の登記名義人を対象とする公共調達案件がいかに大規模で、高い収益性を持つかが理解できるでしょう。これは、個別の顧客を探す手間なく、一度の受注で大きな売上を確保できる「スケールメリット」と言えます。
参入のポイント
ただし、これほど大規模な案件を受注するには、相応の体制が求められます。福岡法務局の同種案件の公告(2020年)によれば、応募資格として「本件業務に係る弁護士又は司法書士若しくはこれらに準ずる者15名以上をもって受託することができること」といった人員配置要件が課されていました。つまり、個人の事務所単独での受注は難しく、複数の司法書士や弁護士が連携し、共同受注(JV:ジョイントベンチャー)体制を構築することが事実上必須となります。
また、過去の同種業務の実績も重視されます。まずは小規模な自治体の相続人調査業務などで実績を積み、他の士業とのネットワークを構築しながら、大規模な法務局案件への挑戦を目指すのが現実的な戦略と言えるでしょう。
2. 行政書士・土地家屋調査士:自治体の「空き家所有者調査」業務
全国的に深刻化する空き家問題は、行政書士や土地家屋調査士にとっても新たなビジネスチャンスとなっています。各自治体は「空家等対策の推進に関する特別措置法」に基づき、管理不全な空き家の所有者を特定し、適切な管理を指導・勧告する責務を負っています。この所有者調査業務が、公共調達案件として外部の専門家に委託されているのです。
案件事例と落札実績
この業務は、相続関係が複雑で所有者の特定が困難なケースも多く、戸籍や住民票の調査、現地調査など、行政書士や土地家屋調査士の専門性が直接活かせる分野です。近年では、以下のような落札実績があります。
発注機関 | 案件名 | 落札金額 |
---|---|---|
豊橋市 | 相続人調査業務委託 | 214万5千円 |
横浜市 | 管理不足空家等の所有者調査業務委託 | 金額非公表 |
(出典:豊橋市入札結果、横浜市公告情報)
業務の特性と収益性
1案件あたりの金額は法務局の相続登記案件ほど高額ではありませんが、それでも200万円を超える規模の案件が存在します。空き家問題は全国共通の課題であるため、多くの自治体で同様の案件が発注されており、安定した需要が見込めます。また、地域の課題解決に直接貢献できるという社会的な意義も大きい業務です。
参入のポイント
横浜市の公告では、参加資格として「弁護士、司法書士、行政書士又は土地家屋調査士のいずれかの資格を有する者が2名以上在籍していること」が挙げられています。ここでも、複数の有資格者による体制が求められており、他の士業との連携が有効な戦略となります。特に、相続が絡む案件では司法書士や弁護士との、土地の境界確定が必要な案件では土地家屋調査士との連携が、業務の遂行と受注の可能性を高めるでしょう。
まずは自身の事務所が所在する自治体の入札情報をこまめにチェックし、どのような案件が、どのような条件で発注されているかを確認することから始めるのが良いでしょう。
3. 税理士:「確定申告」関連の相談・運営業務
税理士の専門性が最も活かせる公共調達案件は、国税庁や各税務署が発注する確定申告関連の業務です。これらは主に、確定申告の時期に繁忙となる電話相談や窓口相談の体制を強化するために、外部の税理士に業務を委託するものです。
案件事例と業務の特性
- 確定申告電話相談センターにおける税理士業務委託: 全国各地の国税局が、電話による税務相談に対応する税理士を募集します。
- 無料申告相談における税理士業務委託: 税務署などが設置する無料相談会場で、来場者の申告書作成をサポートします。
これらの案件は、毎年ほぼ同じ時期に定期的に発注されるため、年間の業務計画に組み込みやすいというメリットがあります。また、全国の国税局・税務署で募集があるため、地域を問わず参入の機会があります。顧問契約のような継続的な関係とは異なりますが、繁忙期のリソースを有効活用し、スポットでの安定した収入源を確保する手段として非常に有効です。
参入のポイント
個人で応募することも可能ですが、多くの地域では税理士協同組合が情報を集約し、組合員向けに案内しているケースが見られます。まずは所属する税理士会や協同組合からの情報を確認するのが効率的です。また、国税庁のウェブサイトでも入札公告が掲載されるため、定期的にチェックすることをお勧めします。
4. 社会保険労務士:「労働条件審査」など専門性を活かした業務
社会保険労務士(社労士)の専門分野である労務管理も、公共調達の対象となっています。特に近年注目されているのが、公契約の適正化に伴う「労働条件審査」業務です。
案件事例と業務の特性
- 公共工事等の労働条件審査: 自治体などが発注する公共工事や業務委託において、受注した企業が労働関係法令を遵守しているか、社会保険労務士が審査します。
- 医療労務管理支援事業: 労働局が、医療機関の労務管理体制の改善を支援するために、専門家である社労士を派遣する事業です。
これらの業務は、企業のコンプライアンス意識の向上や、労働者の権利保護といった社会的な要請に応えるものであり、社労士の専門性を存分に発揮できる分野です。報酬単価も比較的高く、専門家としての知見を活かした高付加価値な業務と言えます。
参入のポイント
労働関連法令に関する深い知識と実務経験が不可欠です。全国社会保険労務士会連合会や各都道府県の社労士会が、自治体への働きかけや会員への情報提供を積極的に行っています。これらの団体からの情報を活用し、専門性をアピールすることが受注に繋がります。また、労働条件審査の実績を積むことで、企業の労務顧問など、民間業務への展開も期待できるでしょう。
公共調達参入のメリット
これまで見てきたように、士業にとって公共調達には多くの魅力があります。改めて、その主なメリットを3つのポイントに整理します。
事業の安定化: 民間案件は景気や顧客の状況に左右されやすい側面がありますが、公共調達は国や自治体の予算に基づいて執行されるため、安定的です。特に、毎年発注される継続的な案件や、数年にわたる長期契約を受注できれば、事業の安定化に大きく貢献します。
信用の向上: 国や地方自治体との取引実績は、それ自体が事務所の信頼性を証明する強力なブランディングとなります。公的機関から選ばれたという事実は、民間企業の顧客に対するアピールポイントにもなり、新たな顧客獲得に繋がる可能性があります。
事業領域の拡大: 相続登記や空き家調査、労働条件審査など、公共調達には民間ではあまり経験できない大規模で専門的な案件が存在します。これらの業務を通じて新たな知見やノウハウを蓄積し、事務所の専門性を高めることで、対応できる業務の幅を広げ、事業領域を拡大することができます。
公共調達参入へのステップ
では、実際に公共調達へ参入するには、何から始めれば良いのでしょうか。ここでは、明日からでも始められる具体的なステップを紹介します。
情報収集: まずは、どのような案件が発注されているかを知ることから始まります。無料で利用できる「GEPS(政府電子調達システム)」のほか、「入札王」や「NJSS」といった民間の入札情報提供サービスを活用すると、全国の案件を効率的に検索できます。関心のあるキーワード(例:「相続人調査」「登記」「労働条件」)を登録し、毎日チェックする習慣をつけましょう。
資格取得: 公共調達に参加するには、発注機関が定める競争入札参加資格が必要です。国の機関の入札に参加するための「全省庁統一資格」は必須と言えます。加えて、都道府県や市区町村など、参入を目指す自治体ごとの資格も取得する必要があります。手続きは各機関のウェブサイトで確認できます。
実績構築: 最初から大規模案件を受注するのは困難です。まずは、比較的規模の小さい、参加しやすい案件から挑戦し、着実に実績を積み重ねていくことが重要です。民間業務での実績も、関連する分野であればアピール材料になります。提案書などでは、これまでの経験を具体的に記述しましょう。
連携体制: 大規模案件の多くは、複数の有資格者による共同受注(JV)が前提となっています。日頃から同業の士業や、弁護士、司法書士、行政書士といった他の士業との交流を深め、いざという時に連携できるネットワークを構築しておくことが、チャンスを掴む鍵となります。
まとめ:公共調達への挑戦が、新たな可能性を拓く
公共調達は、もはや一部の建設業者やITベンダーだけのものではありません。本記事で紹介したように、士業の高度な専門性は、複雑化する社会の課題を解決するために、公的機関から強く求められています。
民間業務で培った知識と経験を活かし、公共調達という新たなフィールドに挑戦することは、事務所の収益基盤を安定させ、さらなる成長を促す大きな可能性を秘めています。また、社会的な課題解決に直接貢献できることは、専門家としての大きなやりがいにも繋がるでしょう。
本記事が、皆様にとって公共調達への第一歩を踏み出すきっかけとなれば幸いです。まずは情報収集から始め、自らの専門性を活かせる案件を探してみてはいかがでしょうか。
参考資料
- 横浜市:令和7年度管理不足空家等の所有者調査業務委託
- 東京法務局:入札・公募情報
- 国税庁:入札公告等(物品製造等)
- nSearch:司法書士の入札結果・落札情報
- みんなの顧問・相続:相続手続きで専門家に払う報酬の相場とは?